解除条項を払うと何が起きるのか
スペインの移籍報道には「解除条項」という言葉がよく出てくる。現地ではクラウスラと呼ばれる。買いたいクラブがその額を払えば、売りたくないクラブの意思にかかわらず選手を連れていける、という説明がよく添えられている。おおむね合ってはいるが、順番が違う。
実際に動くのは、まず選手のほうである。選手が自分の意思で契約を終わらせ、そのときにクラブへ払う賠償額があらかじめ決めてある。それが解除条項だ。移籍金ではない。クラブとクラブが合意して選手を受け渡す取引ではなく、契約が一方的に終わり、自由になった選手が次のクラブと契約する、という形をとる。
この違いは書類の上だけの話ではない。通常の移籍では、売る側が首を縦に振らなければ何も起きない。解除条項の場合、売る側は止められない。額に納得できなくても、選手が手続きを踏めば契約は終わる。売る側は、条項による一方的な退出は拒めないが、それより低い額でのクラブ間移籍に応じる義務はない。
逆に言えば、動かなければならないのは選手本人だ。買いたいクラブが一方的に金を預けて選手を連れていくことはできない。選手が残ると決めれば、いくら積んでも何も起きない。
根拠はスペインの労働法にある
なぜスペインでこの形が目立つのか。プロ選手の雇用を定めた1985年の王令1006号に、はっきり書いてあるからである。
第16条1項は、クラブに落ち度がないのに選手の意思で契約が終わった場合、クラブは場合により賠償を受け取る権利を持つ、と定める。条文は「場合により」という留保を付けている。そのうえで金額について条件が付く。合意がないときは労働裁判所が決める。競技上の事情、クラブに生じた損害、破棄の理由などを考慮して、裁判官が判断する。
つまり、額を先に決めておかなければ、いくら払うことになるのかは裁判が終わるまで誰にも分からない。解除条項は、この不確実さを避けるために両者が前もって合意しておく金額である。ラ・リーガの規約も、条項が定められていない場合には裁判で解決されてから登録が抹消される、という書き方をしている。額を供託して登録を抹消するルートには契約上の賠償額が要り、定めがなければ裁判という別のルートになる、という関係である。制度が全選手に条項の設定を義務づけているわけではない。
同じ条文に、報道ではまず触れられない一文がある。選手が契約消滅から1年以内に別のクラブと契約した場合、そのクラブは支払義務の副次的な責任者になる。まず払うのは選手だが、その選手を迎えたクラブも、選手が払わなければ責任を負う立場に置かれる。
ここまで来ると、スペインのクラブが条項の額を高く設定する理由も見えてくる。解除条項や一方的な契約終了をめぐる仕組みそのものは、他の国にもある。スペインで特徴的なのは、選手の意思による契約終了とその賠償を労働法が明文で定め、さらにラ・リーガがその先の事務手続きまで用意している点である。だから引き止める手段は、額を上げることに寄っていく。バルセロナがリオネル・メッシに置いていた€7億という条項が、その典型である。
誰が払い、どこへ入るのか
手続きの見た目は独特である。金は売る側のクラブへ直接渡さない。選手または選手が委任した者が、リーグへ額を預ける。ラ・リーガの規約が定めているのは、この供託と登録の抹消までである。そこから旧所属クラブへ渡る手順まではそこに書かれておらず、実務として動いている部分になる。
2019年のアントワーヌ・グリーズマンの移籍が分かりやすい。7月12日、グリーズマンの弁護士がラ・リーガで契約終了の手続きを行い、バルセロナが選手本人の名義で€1億2,000万を供託した。バルセロナは事前に支払いの延期を打診していたが、アトレティコは応じていない。条項が使われる以上、売る側に額を下げる交渉の余地はないが、支払い方を緩める義務も負っていない。
売る側が受け取りを拒めばどうなるのか、という疑問が浮かぶ。拒んでも手続きは進む。金はリーグに預けられており、元のクラブの同意は登録抹消の要件になっていない。額や契約の効力に不満があれば、別途争うことになる。
形式上は選手が払うので、選手側に重い課税が生じるのではないかと思える。スペインの税務当局は2016年の見解で、新しいクラブから受け取る分を資産の増加、条項として払う分を資産の減少として対応させる整理を示した。個人所得税の上では、この取引そのものから実効的な負担は残らないことになる。買う側はこの支出を選手登録の取得原価として無形資産に計上し、契約期間にわたって償却する。押さえておきたいのは、この金がクラブ間の売買代金ではなく、選手を経由した賠償金として動いているという一点である。
条項の額は市場価格ではない
報道で「解除条項€8,000万の選手」と紹介されると、その額がその選手の値段のように読める。だが条項の額より低いところで二つのクラブが話をまとめる例もある。
アトレティコが近年ラ・リーガ内から獲得した選手が、そのまま例になる。ロビン・ル・ノルマンは、2022年の契約更新後にラ・リーガ所属クラブ向けの条項が€6,000万になったと報じられていたが、レアル・ソシエダのアペリバイ会長が明かした合意は€3,450万に変動分€500万だった。ジョニー・カルドーソはベティスとの契約で€8,000万の条項を持っていたが、報じられた合意額は€3,000万前後で、条項の半分に届いていない。
ただし、いつも下回るわけではない。アレクサンダー・ソルロートの場合、ビジャレアルは€3,800万という条項の額を崩さない姿勢だと伝えられた。報じられた条件は固定€3,200万に変動分を加えたもので、名目上の最大額は条項を下回らない。下がったのは総額ではなく、アトレティコが一度に払う額のほうである。条項が壁として働くかどうかは、売る側がどれだけ譲る気があるかで決まる。
逆に、売る側が条件を緩めなければ、買う側が資金を用意し、選手が条項を使う道が残る。2019年のロドリのマンチェスター・シティ移籍では、シティが選手に代わって€7,000万をラ・リーガへ供託し、ロドリがアトレティコとの契約を一方的に終わらせる形をとった。同じ年のグリーズマンでも、両クラブの幹部は接触していたが、アトレティコは支払いの延期にも応じていない。話し合いがなかったのではなく、条件を緩めなかったのである。
額が現実離れしていくのも同じ理屈だ。フリアン・アルバレスの条項は€5億と報じられている。2026年のワールドカップの期間中に本人が移籍の希望を口にしたあとも、クラブが売却に応じる姿勢を見せたとは伝えられていない。なお、こうした高額の条項には相手や時期による例外が組み込まれていると報じられることもあり、公表された額がいつでも唯一の数字だとは限らない。
ここまでクラブの側から書いてきたが、条項には別の顔もある。選手にとっては、クラブが首を縦に振らなくても出ていける道である。ただしその道を使うには、額を用意してくれる相手を自分で見つけなければならない。条項が現実離れした額になるほど、選手の側の出口も同じだけ狭くなる。壁は外から入ってくる者だけでなく、中にいる者にも向いている。
そこで筆者が気をつけているのは、条項の額を選手の評価として読まないことである。€8,000万という数字は、クラブが引き抜かれたくないと考えて置いた壁の高さであって、取引価格ではない。
同じ選手でも額は日付で変わる
条項の額は契約期間を通じて一定とは限らない。時期によって段階的に下がる設計にしておくことがある。
グリーズマンの件がまさにそれだった。2019年6月まで€2億だった条項は、7月1日に€1億2,000万へ下がる契約になっていた。バルセロナが払ったのは7月12日で、下がったあとの額である。
アトレティコはこれに納得せず、ラ・リーガへ申し立てを行った。バルセロナと選手はそれ以前に合意しており、€2億の時期に実質的な移籍が決まっていたのだから高いほうの額が適用されるべきだ、という主張だった。ここで確認しておきたいのは、争いがあっても手続き自体は止まらなかったことである。額が預けられ、手続きが済んだ時点で移籍は成立している。売る側の異議は、そのあとで別に扱われた。
報道で条項の額を見るときに日付が要るのは、このためである。「€2億の条項がある」という記事と「€1億2,000万で移籍した」という記事は、両方とも正しいことがある。
裁判所が条項の額を減らした例がある
条項の額はクラブが自由に決められる、とよく言われる。契約を結ぶ段階ではそのとおりである。ただし、書き込まれているのが価格ではなく損害の賠償だという性格上、額が争われて裁判所の判断を受けた例がないわけではない。
実例がある。イバン・スビアウレは2004年にレアル・ソシエダと契約し、条項として€3,005万余りが設定されていた。翌年アスレティック・ビルバオへ移り、争いになった。一審が賠償額を€500万と認定し、バスク州高等裁判所がこれを維持、2008年5月12日にスペイン最高裁が三者の上訴をいずれも退けて確定させている。レアル・ソシエダは条項の額を全額認めるよう求めたが、通らなかった。契約に書いてあった額の、およそ6分の1である。
この判決には、もう一つ読みどころがある。支払いを命じられたのは選手だけではなかった。移籍先のアスレティックも副次的責任者として名指しされている。王令に書かれていた「1年以内に契約したクラブは副次的責任者になる」という一文が、そのまま適用された形だ。
スビアウレのように、条項の額そのものが法廷で争われた例もある。€5億や€7億という額が額面どおり通るかは、少なくとも自明ではない。
2027年から、この仕組みは世界の標準になるのか
この記事を書いている2026年8月の時点で、大きな変更が控えている。FIFAと国際選手会が6月に新しい枠組みで合意し、選手の地位と移籍に関する規則が2027年1月1日から改められる。
この合意を伝えた記事の一部は「解除条項が世界で義務化される」と書いた。スペインの仕組みがイングランドを含む各国へ広がる、という読み方である。ただし、公表された枠組みの文言は「当事者は契約違反に対する賠償額を、明確な制限と歯止めのもとであらかじめ定めることができる」となっている。できる、であって、しなければならない、ではない。
法律家の見方も割れている。すべての契約に条項を入れる必要が生じるという解釈がある一方で、年齢やクラブの規模、各国の事情によって扱いは変わるはずで、一律の義務とは読めないという指摘も出ている。国際選手会自身は、こうした条項を「推奨される」ものとして説明している。規則そのものは6月の時点で承認済みなので、残る問題は、各国の法律や労働協約との関係でこの仕組みがどこまで実際に広がるかである。
報道で解除条項を見たときに確かめること
ここまでを、記事を読む手順にまとめておきたい。
一つ目は、その額がいつ時点のものかである。段階的に下がる設計なら、シーズンや日付によって数字が変わる。
二つ目は、条項が実際に使われたのか、交渉で決まったのかである。「条項€5,000万の選手を獲得」と書いてあっても、動いた金がその額とは限らない。移籍が成立したあとの公式発表や当事者の説明を優先し、固定額と変動額を分けて見たい。
三つ目は、桁が大きいものほど、その額が交渉から遠いということである。€5億のような数字を他の選手の移籍金と並べて比べても、あまり意味がない。
なお、解除条項はスペインだけの仕組みではない。アトレティコがポルトへ売ったサム・アゲオワの契約にも€1億の条項が設定されていた。スペインが特殊なのは、条項があること自体ではなく、法律の側が選手に出口を用意していることである。
移籍金そのものの読み方はアドオンの記事で、次の売却に対する取り分はセルオン条項の記事で扱っている。クラブの支出余地という観点から見たい場合はUEFAの財務規則の記事が入口になる。
参照元
- Real Decreto 1006/1985(スペイン、プロスポーツ選手の特別労働関係)第16条1項。BOE の consolidated 版
- ラ・リーガ一般規約(解除条項がある場合の供託と登録抹消、ない場合の司法解決)
- スペイン最高裁 社会部 2008年5月12日判決(イバン・スビアウレ、レアル・ソシエダ対アスレティック・クラブ)
- Dirección General de Tributos の2016年の見解(解除条項支払いの所得税上の扱い)
- Atlético de Madrid 公式(2019年7月、グリーズマンとロドリの各件)、FC Barcelona 公式
- Telemadrid(レアル・ソシエダ会長のル・ノルマン移籍条件の説明、2024年7月)
- AS、Mundo Deportivo(ル・ノルマンの条項額、ソルロートの移籍条件)
- FIFA および FIFPRO の2026年6月の発表(2027年1月1日発効の新規則)、City A.M.(法律家の見解の相違)