はじめに ── 「もうひとりのメッシ」のベンチ

2023年6月10日、イスタンブール。UEFAチャンピオンズリーグ決勝、マンチェスター・シティ対インテル・ミラノ。シティがロドリのゴールで1‑0とリードし、トレブル(3冠)達成が目前に迫っていた。ベンチにはフリアン・アルバレスがいた。グアルディオラは前半のデ・ブライネ負傷交代を含む2枚の交代カードを切ったが、アルバレスの背番号19がボードに緑色で光ることはなかった。最終スコア1‑0。アルバレスはCL決勝で出場機会を得られず、トレブル達成の瞬間をベンチから見届けた。

シーズンを通じて49試合に出場し17ゴールを決めた23歳のアルゼンチン人は、クラブ史上最も重要な90分間をベンチで終えた。2022年12月のワールドカップ優勝に続く、この夜のCL優勝。史上初めてワールドカップとクラブの大陸トレブル(プレミアリーグ、FAカップ、CL)を同一シーズンに制した選手という栄誉を手にしながら、その最後のピースが嵌まる瞬間にピッチの上にはいなかった。

後にアルバレスはInfobaeのインタビューでこう振り返っている。「CL決勝では出場できなかった。準決勝でもあまりプレーできなかった。ああいう試合にこそ出たかった」(AS紙 2025年2月27日転載)。

この夜の記憶が、1年後の決断を理解する鍵になる。

第1章 ── パンパスの蜘蛛

フリアン・アルバレスは2000年1月31日、アルゼンチン・コルドバ州のカルチンに生まれた。人口約3,000人。コルドバ市から東へ100kmほどの、パンパ(大草原)の只中にある小さな町だ。

幼少期から地元クラブ「アトレティコ・カルチン」でボールを蹴った。兄のラファエルが彼に「ラ・アラーニャ(La Araña)」というあだ名をつけた。「蜘蛛」。どんなボールでも追いかけて捕まえてしまう幼い弟の姿が、そう見えたのだという説が有力とされている。後にゴールを決めるたびにスパイダーマンの糸を撃つポーズをするセレブレーションの原点は、カルチンの庭先にある。

11歳のとき、アルバレスはボカ・ジュニアーズとリーベル・プレートの両方のトライアルを受けた。レアル・マドリードのユーストーナメントにも参加し、5試合で2得点を記録している。だが、年齢制限のためにレアルとの契約は実現しなかった。2016年、16歳でリーベル・プレートのアカデミーに正式加入。ここから「蜘蛛」の糸が、本格的に張り巡らされ始める。

リーベルでの成長は、名将マルセロ・ガジャルドの指導のもとで加速した。2018年10月27日、プリメーラ・ディビシオンのアルドシビ戦でトップチームデビュー。同年12月には、宿敵ボカとの2018コパ・リベルタドーレス決勝――暴力事件による延期を経てマドリードのベルナベウで開催された伝説のスーペルクラシコ――に途中出場し、南米制覇を経験している。18歳だった。

2021年はブレークスルーの年になる。アルバレスはリーグ戦21試合で18ゴール6アシスト――66分に1回の得点関与――を記録して得点王に輝き、リーベルのリーグ優勝に貢献した。南米年間最優秀選手賞を受賞。リーベルでの通算成績は122試合54ゴール。人口3,000人の町から出発した青年は、南米最高の選手になった。

第2章 ── ハーランドの影で

2022年1月31日——22歳の誕生日当日、マンチェスター・シティへの移籍が発表された。移籍金は約1,400万ポンド。シーズン終了までリーベルにローンで残り、2022年夏にイングランドへ渡った。

シティでの最初のシーズン(2022‑23)は、ひとつの矛盾を抱えていた。アルバレスはチームに不可欠な戦力だった。リーグ戦31試合9ゴール、公式戦全体で49試合17ゴール。だが、前線の「主役」はアーリング・ハーランドだった。ノルウェー人の怪物が公式戦全体で52ゴールを量産するなかで、アルバレスの役割はあくまで「2番目の選択肢」だった。

2023‑24シーズン、状況は少し変わる。ケビン・デ・ブライネがハムストリングの重傷でシーズン前半戦を長期離脱し、グアルディオラはアルバレスを攻撃的MFとして起用し始めた。アルバレスはこの新しいポジションに見事に適応し、リーグ戦36試合11ゴール、公式戦全体で54試合19ゴールを記録。シティは史上初となるプレミアリーグ4連覇を達成した。12月にはFIFAクラブ・ワールドカップ決勝のフルミネンセ戦で2ゴール1アシストを叩き出し、大会得点王に。バロンドール投票では7位に入った。

数字だけを見れば、十分な成功のように思える。だが、ハーランドとの序列は変わらなかった。グアルディオラのシステムにおいて、フリアン・アルバレスは「最高のバックアップ」であり「最高のユーティリティ」だった。あらゆるポジションをこなし、あらゆる状況で結果を出す。だが、チームの絶対的な中心とは言い切れない立場だったと見ることができる。ワールドカップの英雄が、クラブではサブの日がある。その事実は、24歳のアルバレスに変化を求めさせた可能性がある。

2024年夏にはアルゼンチン代表として2大会連続となるコパ・アメリカ優勝にも貢献した。シティでの通算成績は103試合36ゴール。わずか2シーズンでプレミアリーグ2連覇、FAカップ、CL、クラブ・ワールドカップを制した。それでも、より大きな役割を求める意識が強まっていたように見える。

第3章 ── なぜシメオネを選んだのか

2024年8月12日、アトレティコ・デ・マドリードはフリアン・アルバレスの獲得を正式発表した。契約期間6年、移籍金は固定額約7,000〜7,500万ユーロにボーナスを加え、最大約9,500万ユーロ。シティにとってはクラブ史上最高額の売却となった。

お披露目会見でアルバレスはこう語っている。「キャリアの中で変化が必要だと感じた。新しい挑戦を探さなければならなかった」。

しかしアルバレスが選んだのは、ディエゴ・シメオネのアトレティコだった。

なぜか。理由はおそらく複合的だが、ひとつの仮説が浮かぶ。アルバレスはスピードと技術を持ちながら、守備を厭わない。プレスの先頭に立ち、中盤まで戻ってボールを奪いにいく。リーベル時代にガジャルドのもとで培われた全員攻守の姿勢は、シメオネが求めるプレッシングや献身性と重なる部分があるように見える。

もうひとつ、より直接的な動機がある。「チームの中心」になること。シティではハーランドの影にいた。アトレティコでは、2トップの片翼として、主力として期待される環境だったとみられる。33歳のグリーズマンの出場時間は管理され始めており、次の時代の軸となるFWが必要とされていた。アルバレスにとって、それは「最高のバックアップ」から「チームの中心」への転換を意味する可能性があった。

第4章 ── 29ゴールの初年度

2024‑25シーズン、アルバレスのアトレティコでの初年度は、数字が雄弁に物語っている。

ラ・リーガで37試合17ゴール4アシスト。公式戦全体では54試合29ゴール9アシスト。うちCLで7ゴール。初年度の選手としては破格の数字であり、シーズン終了後にはクラブの年間最優秀選手に選出された。

だが、アルバレスのアトレティコにおける真の価値は、ゴール数だけでは測れない。シメオネの戦術における役割を理解するには、彼がピッチ上で何をしているかを分解する必要がある。

多くの試合では守備時5‑3‑2、攻撃時4‑4‑2を基本形とするハイブリッド型が採用されているが、対戦相手やメンバー構成によって変化する(詳しくはコラム「シメオネ戦術進化論」を参照)。アルバレスは2トップの一角として、アレクサンダー・ソルロートとコンビを組む。だが、両者の役割は対照的だ。

ソルロートは身長195cmのターゲットマン。最前線でポストプレーを行い、相手CBをピン留めする。アルバレスの役割はその周囲を「蜘蛛の巣」のように動き回ることだ。ライン間に落ちてボールを受け、サイドに流れてクロスの起点を作り、ソルロートのポストプレーのこぼれ球に反応してゴール前に飛び込む。170cmの小柄な身体がCBの間をすり抜ける瞬間は、あだ名の通り「蜘蛛」そのものだ。

以下はFBref(データ提供元: Opta)のスカウティングレポートから引用した数値で、欧州5大リーグ・UCL・UELのFW(フォワード)を比較対象としている。「上位○%」は同ポジション内での相対順位を意味し、数字が小さいほど上位に位置する。なお、FBrefのスカウティングレポートは直近365日間のローリングデータであり、本コラムの数値は2026年2月下旬時点の取得値である。シュート創出アクションは90分あたり3.49回(上位8%)、プログレッシブパスは同3.02回(上位9%)、プログレッシブキャリーは同2.96回(上位7%)。通常はディープライイング・プレーメーカーに期待される水準の数値を、センターフォワードが記録している点が際立つ。一方、非PK得点は90分あたり0.52(上位24%)と、ストライカーとしては平均を上回るが突出はしない。アルバレスが担っているのは、ハーランドのようなゴール量産型ではなく、チームを機能させつつ結果も出す――グリーズマンに近い役割と見ることもできる。

ソルロートとアルバレスの関係は、かつてのグリーズマンとディエゴ・コスタのそれに近い。大型FWが相手の守備を引き付け、技巧派が空いたスペースを使う。違いは、アルバレスがグリーズマンほど「ライン間の住人」ではない点だ。彼はライン間にも降りるが、ゴール前にも飛び込むし、サイドにも流れる。グリーズマンが「名前のないポジション」の選手だったとすれば、アルバレスは「すべてのポジション」の選手だ。どこにでもいる。どこからでも点を取る。

守備面も見逃せない。前線からの守備貢献も大きく、FBrefによれば2024-25ラ・リーガでタックル成功数は90分あたり0.89(同ポジション比上位19%)、ブロック数は同0.77(同上位17%)を記録している。シメオネが選手に求める「走れ、戦え、犠牲になれ」を、アルバレスはごく自然にこなす。この点が、同じく大型移籍でアトレティコに加入しながらシメオネ体制のもとで継続的な適応に苦しんだジョアン・フェリックス(2019年加入、1億2,600万ユーロ)との大きな違いとして表れている。

第5章 ── 2年目の現在地

2025‑26シーズン、アルバレスは26歳になった。2026年2月下旬時点でラ・リーガ25試合に出場し7ゴール3アシスト、公式戦全体では13ゴールを記録している。初年度の爆発力と比較するとペースはやや落ちているように見えるが、文脈を読む必要がある。

まず、チーム内での役割がさらに多様化している。ソルロートがラ・リーガで9ゴールと好調を維持するなか、アルバレスにはより多くのゲームメイクが求められるようになった。パスやチャンスクリエイトの比重が増し、純粋なフィニッシャーとしてのタスクが分散されている。

次に、今季のアトレティコが複数のコンペティションを並行して戦っている点がある。ラ・リーガ、CL、コパ・デル・レイ。ローテーションの中でアルバレスの出場時間は管理されており、25試合で約1,700分。1試合あたり平均約68分のプレー時間は、フル稼働とは言い難い。だが、これはシメオネが長期的にアルバレスを消耗させまいとしているサインでもある。

チャンピオンズリーグが、かつて渇望した舞台を提供している。2026年2月下旬時点でリーグフェーズおよびプレーオフの9試合で5ゴール――フランクフルト戦で1ゴール2アシスト、USG戦・インテル戦・PSV戦で各1ゴール、プレーオフ第1戦のブルージュ戦(3-3)で1ゴール。第2戦ではメトロポリターノでブルージュを4-1で下し(合計7-4)、ラウンド・オブ・16進出を決めた。CL決勝をベンチで見届けた選手にとって、この歩みの象徴性は明白だ。

さらに目を引くのが、ジュリアーノ・シメオネアレックス・バエナ、さらにボタフォゴから加入したアルゼンチン人プレーメーカーのティアゴ・アルマダといった新世代との共存だ。アルバレスは彼らと流動的にポジションを入れ替えながら、攻撃のユニットとして機能しようとしており、アルバレスの活動範囲はさらに広がっている。

シティでは「2番目の選択肢」だった。アトレティコでは「最初の選択肢」になり、今は「最初の選択肢であり続けながら、チーム全体の攻撃を設計する中心」へと進化しつつあるように見える。ルックマンやソルロートの好調の裏で、その過渡期にあるのが、2年目の現在地だ。

おわりに ── チョリスモに染まるということ

フリアン・アルバレスのキャリアを振り返ると、ひとつのパターンが見える。常に「次」を選び続けてきたことだ。

カルチンからリーベルへ。リーベルからシティへ。シティからアトレティコへ。それぞれの場所で結果を残し、それぞれの場所に安住しなかった。ワールドカップのメダルもCLのメダルも持っている。それでも、ベンチに座り続ける未来を選ばなかった。

シメオネの哲学に「染まる」とはどういうことか。それはフォーメーションの問題ではない。守備的であることの問題でもない。「チームのために自分の才能を最も効率的に使い切る」ことだ。アルバレスは、カルチンの小さなピッチで身につけた「どこでも走り、どこでも闘う」という姿勢を、グアルディオラの元で洗練させ、シメオネの元で完成させようとしている。

2026年1月31日、アルバレスは26歳になった。FWとしてのピークはこれからだ。リーベルで122試合54ゴール、シティで103試合36ゴール、アトレティコで2シーズン目の途中までに通算42ゴール。数字は着実に積み上がっている。だが、アルバレスの真価が問われるのは、アトレティコにタイトルをもたらせるかどうかだ。

イスタンブールの夜にピッチの外から見届けた光景を、今度はピッチの上で経験する。フリアン・アルバレスがアトレティコを選んだ理由は、おそらくそこに集約される。

※本コラムに掲載しているスタッツ・データは、特に記載のない限り執筆時点(2026年2月下旬)のものです。最新の情報は各データソースをご確認ください。

今日のチョリスモ実践
ワールドカップもCLも制した。それでも「天井がある場所」を離れた。安住することと満足することは違う。次のステージを選ぶ意志こそが、成長の続きだ。